吾妻鏡と平家物語

清水由美子さんの「『平家物語』と『吾妻鏡』―横田河原合戦記事をめぐってー」(中央大学文学部「紀要」274号)という論文を読みました。史実との乖離を指摘するだけでなく、歴史離れの意図の中に、本文の時代的変遷を見ようという立場から、諸本間で異同の多い横田河原合戦(上洛を目指す義仲と越後の城氏が戦った、平家物語が最初に描く本格的な合戦)を検証しようとしています。

この部分は読み本系諸本では詳しいのですが、しかし諸本間で日付や人名などの基本的な事項に大きな異同があり、一本の内部にもそれぞれ他の記事との重複や齟齬があったりして、本文流動の軌跡をたどることが困難な箇所です。語り本系では大幅に整理削除されていて、一見矛盾がないように見えますが、史実とは1年のずれがあり、巻6と巻7の間、つまりもし六巻本から拡大されたとすればその継ぎ目に当たる、問題の多いところです(長門切には、義仲の合戦記事が多く残っているのも気になります)。

清水さんは『玉葉』『吉記』によって史実の輪郭を想定し、『吾妻鏡』がそれから逸れている点が語り本系平家物語と一致することに注目、語り本系は物語全体の構想に合わせて、地方武士の保元の乱以来の合戦記憶を切り捨てていると指摘しています。また『吾妻鏡』記事の誤りは、源平盛衰記と語り本系平家物語に別々に継承されたと考えた方が合理的であろうとしています。

平家物語の古態は読み本系諸本に残っている、とする近年の研究を推進するならば、源氏、関東武士、地方武士の記事がどこからどのように摂取され、語り本系ではどうして削除されていくのかを追究しなければなりません。『吾妻鏡』は史実どおりではないとして放置したままではいけない、とつよく思いました。