今鏡の政治史

蔦尾和宏さんの論文「『今鏡』の政治史ー摂関政治から院政へー」(「国語と国文学」10月号)を読みました。文化史が中心で、政治的、歴史的な時代の変化には背を向けた(つまり、未だ旧時代の文化は大丈夫だ、大丈夫だと力説する姿勢を取り続ける)歴史物語という定評のある今鏡ですが、蔦尾さんは近年、今鏡の構造に関する論文を連続して発表しています。

今鏡は万寿2年から嘉応2年(1025~1170)の歴史叙述を含み、保元・平治物語と重なる時代を扱っているのですが、うっかり通読すると、まるで争乱などなかったように読み過ごしてしまいそうです。私も授業で取り上げたことがありますが、文化史や人物伝として面白い挿話がたくさん載っているので、それらを辿っているうちに1年間の授業時数は終わってしまうのでした。

蔦尾さんは今鏡が院政を日常的な政治体制と認識していたとし、時代の画期を後三条天皇の代と高倉天皇の代としたと見做します。後三条天皇の摂関離れは、普通は外戚の無かったことに起因するとされますが、今鏡は頼通との不仲に由来しているとして、後三条天皇道長の系譜から出た天皇であるように記述していると言います。また今鏡は、武門の台頭を高倉天皇即位と関連付け、建春門院の出自(平氏)を強調したかったのであろうと推測しています。

後三条天皇の代が時代の変換期であったことは、愚管抄からも肯けます。蔦尾さんは今鏡が宮廷政治を支える3本柱として天皇・摂関・国母を軸に叙述しながらも、院政から逸脱する摂関には批判的だと指摘します。世継物語の枠を打ち立てた大鏡源氏物語を枠組としながら時代の推移を描いた増鏡に比して影の薄かった今鏡が、読み解かれていきます。