源平の人々に出会う旅 第54回「鳥羽・3人の院」

 平清盛によって平家は栄華を極めましたが、その礎を築いたのは父忠盛です。覚一本『平家物語』では、巻一「殿上闇討」にその一端が記されます。

鳥羽天皇陵(安樂壽院陵)】
 地下(じげ)平氏であった忠盛は、鳥羽院御願寺・得長寿院を建立した功績によってで昇殿を許されます。それを妬んだ殿上人達は闇討ちを計画しますが、忠盛はそれを未然に防ぎ、鳥羽院の信頼を確たるものにしました。

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白河天皇陵(成菩提院陵)】
 院政を開始したのは鳥羽院の祖父白河上皇です。同時に、院の御所を警備する北面も設置されました。鹿ヶ谷事件の首謀者の一人である西光法師ももとは北面の武士です。また、巻六「祇園女御」には、清盛はじつは白河院の子であったと記されています。

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近衛天皇陵(安楽寿院南陵)】
 鳥羽院の皇子には、後白河天皇近衛天皇がいます。近衛院はわずか17歳で崩御しますが、皇后藤原多子は、後に二条天皇の皇后になるという数奇な運命をたどりました(巻一「二代后」)。

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〈交通〉
烏丸線竹田駅
   (伊藤悦子)