古活字探偵16

高木浩明さんの「古活字探偵事件帖16」(「日本古書通信」1137号)を読みました。前号に続き「徳富蘇峰と池上幸二郎 その2」と題して、徳富蘇峰の書生から池上製本所の婿となった、田中(後に池上姓)幸二郎(1908~85)について書いています。

幸二郎は蘇峰の秘書兼助手として蔵書の整理保存に携わり、蘇峰以外の人物(例えば永井荷風など)からも頼まれて和本の修理や製本を手がけ、戦後は多くの国宝・重要文化財の修理をしたことで有名だそうで、ちょうどいま進行中の企画のため、赤間神宮から旧国宝本長門本平家物語の写真が届き、箱蓋には昭和25年4月の年記と共に、「修理施工者 東京神田 池上幸二郎」の名が色漆で記されているのを見たところでした。

長門本平家物語20册や懐古詩歌帖は戦時中、それぞれ箱に入れて赤間神宮の土蔵に仕舞われていたのですが、下関の空襲で蔵そのものが炎に包まれ、いわば蒸し焼きになってしまったのです。箱が桐か檜かによって焼損の度合いが分かれ、長門本は縁辺から黒焦げになり、一部の丁は焼失してしまいましたが、本の大きさや書写の具合などの推察できる手がかりが残り、この程度でもよく残った、と感激する書誌学者もいます。

消火後毛布にくるまれて保管されていた20册を開いた時、視察に来た文部省技官の田山信郎(方南)は、「ああ」と言ったきり絶句した、という話も聞きました。

高木さんが前号で書いた通り、池上が修復を始めた当時は、江戸時代からの職人の手わざが伝わっているだけで、文化財保護のノウハウが決まっていたわけではありません。それゆえ、現代の眼で見ると、かなり大胆なことをやってのけている場合も多いようです。原状を保存するというだけでなく読者が使える本として残す、という方針だったらしい。災害の多い日本、せめて人災である戦火だけは、2度と起こりませんように。