性自認

ゆうちょ銀行で預金払い出し票を書こうとしたら、住所氏名・口座番号のほかに、男女欄がある。どうして自分の口座から出金するのに性別を訊かれなければならないんだろう。窓口で、今どきこんな欄があるなんて批判されるよ、と言ったら、任意ですから、と口答えするので、必要ないだろ、と言い捨てて帰りました。

新刊本に入っている愛読者カードを書こうとしたら、これにも男女欄がありましたが、一種のマーケッティング調査だから必要だろうな、と思いながら、でも記入しませんでした。市場調査にも、性別が関係する場合とそうでない場合とがあり、この本を私が買ったのは、女性だからではないからです。

性自認とトイレや浴場の使い分けとの問題が論争を呼んでいるのだそうです。社会的恐怖を煽り、問題を貶める論調(性同一障害と痴漢とを混同するような)は問題外ですが(痴漢は勝手に女装しても目的を果たせる)、しかし生まれつきの性で生きている者の違和感もまた、同等に大事にして欲しい。

かつては、男性が立ったまま使う便器が入り口に近く目隠しもなしに立ち並び、女性用の個室へ入ろうとして目のやり場に困るトイレがざらにありました。あの頃、男性諸君やおばさまたちは、騒いで呉れましたか?当たり前のことと思ってませんでしたか。裸体が男性である他人と同じ浴槽に入るには、女性は勇気かよほどの人生経験が要り、混浴場にはそれなりの工夫がされているのがふつうです。

性同一障害者の権利と同様、生まれつきの性で生きている者の感覚もまた、保護されていいはずです。べつに痴漢だと疑ってはいなくても、最もプライベートな瞬間の肢体を見られていい人の条件は無制限ではない。任意ですから、で済むものではないでしょう。