回想的長門本平家物語研究史(13)

はやく明治末期(1906年)から翻刻が出ていた平家物語異本は、長門本でした。それゆえ辞書の用例には平家物語(流布本、覚一本)のほかに、源平盛衰記長門本平家物語がよく挙げられていたのです。連歌が御専門の島津忠夫さんが、長門本について、室町語の実態を反映しており、その成立は南北朝から室町初期ではないかと指摘された(1992年)のは、辞書の編纂改訂作業を通じての見識によるものでした。

私は、内々考えていたことが言われて嬉しくはあったのですが、幾つか事実誤認や見落としがあり、私がこれまで書いてきたものを全く御覧になっていないようだったので、該当論文のコピーを同封して手紙を差し上げました。その後、徒然草226段に言う「生まれつきの声」の解釈についても、同様に手紙を出しました(1995年)。自分の書いた物を読んでいないのか、という発言は大嫌いなので大抵の場合は見過ごしてきたのですが、島津さんは説話や軍記研究者の多かった90年代の名古屋で、研究会のリーダーとして慕われていた方だったので、放ってはおけなかったのです。島津さんは誠実に対応してくださり、著書『平家物語試論』(汲古書院 1997)ではきちんと修正されています。

長門本には室町の雰囲気がたっぷり吸収されている、長門本の「庶民性」と言われる性格は、じつはその反映ではないのか。かつて水原一さんは私に、長門本は女性的だね、と言ったことがありましたが、それもまた「室町的」文芸性の印象によるのではないか。鎌倉期までは、物語を目指せばその目標は源氏物語とその末流たちでしたが、室町期に物語らしくなろうとすれば、自ずから中世小説的な造型、挿話、表現で装うことになる。そう考えて書いたのが「人物造型から見る長門本平家物語」(『長門本平家物語の総合的研究 第3巻 論究篇』2000 勉誠出版)でした。