異性装

中根千絵さん始め8人の著者が執筆した『異性装 歴史の中の性の越境者たち』(集英社 インターナショナル新書)を読みました。中根さんが序章を書き、本橋裕美・東望歩・江口啓子さんは主に『とりかへばや物語』をとりあげ(①②③)、森田貴之さんは④「巴「女武者」像の展開」、⑤日置貴之さんが「歌舞伎、異性装、そして「なりたい」女たち」、⑥阪本久美子さんが「シェイクスピアのオールメイル上演の愉しみ方」、⑦伊藤愼吾さんは「稚児と<男の娘>」と題して書いています。

知らないことが多い分野ですが、私自身の感想から言うと、『とりかへばや物語』で痛感するのは、ひとの性格や性的同一性は生まれつき固定したものではないな、ということです。この物語内の兄は、自分の使命を意識した時男らしくなり、主人公である妹は、女に戻っても決断力や総合的思考に優れている。女性の作者だとすれば、社会性と性的同一性の関係をどう見ていたのか。また『平家物語』の義仲は、松殿の娘に対する態度と巴への態度とが対照的に描かれている、そこにどんな意味があるかを論じて欲しい。

伊藤さんの資料博捜ぶり(目配りの広範囲)には驚嘆し(呆れ)ました。一方で室町の日記や絵画資料を使いこなし、一方でサブカルというのか、地方ビジネスタウンの安宿の枕元に積んであるような雑誌・漫画本類の水準のメディアにも論が及ぶ。これこそ今どきの気鋭の文化論、というべきでしょうか。行方を見守りたいと思います。

私が興味深く読んだのは⑥でした。最近新劇の舞台を観ていないので、古典の脚本を独自の演出で新しくする試みが続々出ていることが面白かったのです。「じゃじゃ馬馴らし」と「マイ・フェア・レディ」とはどう違うのかなど、考えさせられました。序章にはこれだけ多彩な人たちの共同執筆の因縁も、書いておいて欲しかったと思います。