玉ゆら20年

歌誌「玉ゆら」81号の巻頭に秋山佐和子さんが、大江健三郎の思い出を書いています。『折口信夫全集』が発刊された時、全巻購読予約者の中に大江健三郎白洲正子の名を見て、編集部一同力づけられた、と後年、岡野弘彦氏が述懐していたそうですが、全集の月報23に大江が、折口の「新憲法」という詩を引いて彼のダイナミズムを礼賛しているのを発見し、秋山さんは驚いたというのです。

私も驚きました。大江が折口を深く学ぼうとしたことも、そして折口が昭和22年5月に「われらが生けることば以て綴り、われらの命を捺印し」「うちとよむ時代の心 句々に充ち 章段にほとばしる 我が憲法 生きざらめやも」と新憲法を歌い上げていたことも、全く知りませんでした。

「玉ゆら」は岡野弘彦門下の秋山さんが主宰し、女性の短歌愛好者たちが集う同人誌です。私はかつて非常勤先で御一緒した吉崎敬子さんから送って頂いているのですが、今夏で20周年を迎えたとのこと。同人の詠作だけでなく評論も連載されています。今号で目が止まったのは、井上美津子さんの「後手に回るくらいが」と、斎藤知子さんの「戦後昭和の短歌と歌集文化(18)」でした。前者は歌誌「短歌研究」のハラスメント特集や短歌のエンタテインメント性、演歌の評価の激変に言及しつつ、表現の倫理と創作の自由についての迷いを述べています。

後者は岡井隆の唱えた「ライトバース」に触れ、その代表仙波龍英と俵万智を取り上げ、全盛期はバブル経済期に重なり、その後口語やオノマトペを多用したり記号などを使って視覚に訴える「ニューウェーブ」が台頭した、と述べます。俵万智の、はぐらかすようなしらべの柔らかさは、古今集に近いかも知れないという指摘は面白いと思いました。