巴里からの電話

昨夜、夕食後に電話が鳴りました。出てみたら、巴里のj.ピジョーさんからでした。特別な用事ではないけど、と断って、15分ほど互いの近況を話しました。毎年、秋には訪日していたのに、昨年も今年もCOVID19のためできずにいる、そのうちに自分が旅行できなくなるかもしれない、と言われました。巴里は映画・観劇は自由、以前のように外出目的を一々届ける必要はなくなったがマスクは必須、とのことでした。

ピジョーさんは、京都賞も受賞した、中世日本文学の専門家です。一昨年までは毎年来日し、研究に必要な知識を入手したり、国内を旅行したりしていました(各地で、秋の海で泳ぐのを楽しみにしているので、心配させられました)。海外旅行は禁止されてはいないが、もし日本で罹病すると難しいことになるのでと言われ、それは国内の私も同じ。

互いにいま何をしているか、尋ねました。ピジョーさんは、日本古典文学作品から、海に関する名場面を抜粋して仏語訳した本を出版しようとしており、翻訳はもうできたが、どの程度解説をつけるか迷っていて、専門の異なる文学好きの友人に原稿を読ませて、意見を訊いているところだそうです。軍記物語では義経記源平盛衰記を取り上げた、仏蘭西で一番有名な日本人は義経だから、と笑っていました。

部分訳でも源平盛衰記の仏語訳はこれが初です。昨年、安徳天皇入水(巻43)の本文について相談されたので、私は宗盛父子が生け捕りとなる場面もつけることをお勧めしました。彼らはなまじ「水練」、水泳が達者だったので、海の上で互いに相手が沈んだら自分も沈もうとぐずぐずしている内に捕虜となる。水泳好きのピジョーさんにも相応しいし、平家の敗因の一つとなった宗盛の性格をよく表す挿話だからです。

来年は逢えるでしょうか。老人にとって1年の空白は、生涯の空白になりかねません。