大政奉還後の延岡藩

古林直基さんの「大政奉還後における延岡藩の政治行動―「公議」意識と「條理」の観点を中心として―」(「明治維新研究」19号)という論文を読みました。研究ノートという欄に載っていますが、分量も内容も、他雑誌ならば論文として扱われるものでしょう。古林さんは福岡大学の博士課程で、延岡藩の幕末維新史を研究しています。

本論文冒頭では、幕末維新期の藩政治研究は近年、薩摩・長州だけでなく諸藩の動きにも目配りされ、隆盛を見ているが、関東譜代藩や幕府要職者を出した藩に関心が偏り、九州譜代藩は江戸から離れているため、「左遷」転封同様の場として消極的に見られてきたと述べています。そこで、藩主名代として上京した中老原小太郎の国元宛の書簡や、内藤家文書(明治大学博物館蔵。延享4年=1747から廃藩置県までの延岡藩政文書5万点)の中から、江戸藩邸と国元の双方の御用部屋公務日記を読み込んで、延岡藩の鳥羽伏見戦争への対応が決定するまでを検討しました。

その結果、延岡藩は必ずしも他の譜代藩と歩を揃えず、熊本藩を中心とする雄藩勢力の下で、徳川家が「公議」を重んじ、朝廷への恭順を示す「條理」を求めていたのだ、しかし慶喜はそれに添う行動を取らず、延岡藩は、今度は鳥羽伏見戦争を慶喜が収束させて「條理」を示すことを要請したのだという結論に達しました。熊本藩に期待を寄せていたのは小倉藩も同様だったが、事態はそういう方向へ進まなかったのだそうです。

専門外ゆえ本論文を研究史的に評価することはできませんが、地方にはそれぞれに権力構造への異なる理解と期待があり、それを無視した中央の動きが各地に与えた衝撃の大きさを想像させる点、興味ふかく読みました。なおところどころ気になる、小さな、日本語の誤用が見受けられます。歴史学も文章力で勝負する面がある。頑張って下さい。