救急サイレン

昭和37年(1962)5月3日、当時高校生で小石川に住んでいた私は、深夜から未明まで、遠くで絶え間なく救急車のサイレンが行き交うのを聞きました。常磐線で三重衝突のため死者160,負傷者296人を出した三河島事故です。今でも救急車のサイレンを聞くと、不安だったあの夜のことを思い出します。

今は病院が多い大通りの傍に住んでいるので、救急車がよく通るのですが、最近はサイレンを聞く度に、あれは受け入れ先が決まって走っているのだろうか、と祈るような気持ちになります。昨日もエノキさんと、隊員たちの心が折れなければいいが、と話したところでした。ウェブ報道によれば今朝、東京消防庁は救急車がすべて出払って、要請があっても派遣できない事態に陥ったとツイートしたそうです。異例ではない、異常事態だと。

熱帯夜だったせいもあるのでしょうが、コロナの感染爆発で搬送先がなかなか決まらず、救急車が長時間、病室代わりになる状況が影響していることは確実です。これでも総理は、国の対策はうまく行っている、それは都の問題だ、と言うのでしょうか。もし今、どこかで大事故が起こっても、駆けつけてくれる救急車はないかもしれない。そんな街に1400万人が暮らし、働いているのです。

彼の記者会見を視ていると、実質、質問には殆ど何も答えていない。私はあれをやった、これもやった、うまく行ってる、安心安全、のみ。デルタ株のせいなら、新株に相応した策を打つべきだし、国民が言うことを聞かないのではなく、長引きすぎてもう待てないことが増え、一方で政府と都が音頭を取ってお祭り騒ぎをやっているのに棚上げしなければならない理由を見出せないのでしょう。まずは医療現場を救え。そのために真摯なメッセージと、現場に密着した丁寧な具体策を打て。サイレンはそう聞こえます。