説話文学会シンポ2021

説話文学会大会シンポジウム「戦争はいかに語られるか」を視聴しました。Zoomによるオンラインです。司会佐伯真一、講師は佐倉由泰・井上泰至、コメンテーターが鈴木彰・大津雄一という顔ぶれ。私も会員なのですが、文字資料は配付されませんでした。

佐倉さんの「<武>の表現史ー武官をめぐる言説に着目してー」は、平安から中世、和文・漢文を通じて近衛の武官、将軍が登場する文章を考察しながら、それらがもたらす物語的豊饒さを指摘しました。井上さんは「軍記はいくさの何を語らないのか?ー合戦図との比較から」と題して、中世と近世の相違を意識し、17世紀前半の屏風絵を例に、絵巻との相違、足軽の戦闘が中心となり、乱取り(勝者の略奪・陵辱等の行為)が当然のように描かれ、救済が消失していくこと、武将が神格化され「軍神」の原形となっていくことなどを指摘しました。時間の制約のため、朝鮮侵攻を描く絵画資料を日朝で比較した結果にはさらりとしか触れられませんでした。

コメンテーターは2人とも、いい所を衝いていました。しばしばコメンテーターはなくてよい(ない方がいい)と思うことが多いのですが、今回は本質的な質問でした。将来の戦争に自らが関わることを想定せずに軍記文学が読める70数年間は今までになかったことだとの指摘、戦争体験者と非体験者とでは読みが違うのではないか、近衛以外の武官はどうか、軍記物語というジャンル意識は中世からあったのか、こうして戦争は文学でいかに語られるかを問う、もしくはそれに答えるのは、誰に対してなのか等々。

思うに、4つも5つものシンポが組める問題を一遍に(わるく言えば漫然と)投げ出した企画でした。学会のシンポとしてはやはり、問題の立て方に熟慮が足りないというべきでしょう。私自身にとっては幾つもの問題が鮮明化して、大変有益でした。