オンラインのはしご

平常時なら学会シーズン、今日明日、オンラインの学会が重なりました。やむなくはしご。午前中は東大の国語国文学会、岡本光加里さんの発表「風の色の和歌」を聴きました。定家の『新古今集』1336番歌を、「身にしむ色の秋風」に焦点を当てて考察、共有しがたい本質的な孤独が歌われていると解釈しました。討論は必ずしも整理された発言ばかりではありませんでしたが、誰もが必死に言葉を探しながら問題に取り組もうとしていて、議論の輪に入りたくなります。和歌研究を見ていて思うのは、『国歌大観』索引のもたらした効果の大きさです。歌語というカテゴリーが決まっている故の効果でもありますが、用例の意味づけには、やはり研究者個人の力量が問われる、と改めて思いました。

午後からは軍記・語り物研究会と説話文学会合同のシンポジウム「『曽我物語』と説話」。ところがどちらのHPにも、前日までに出すとの予告にも拘わらず、オンラインへの入り口が出ません。昔はHPの更新をテンキーでやったっけ、とあちこちいじり、ようやくアクセスできたのは、正午近く。資料を予習する余裕はありませんでした。

シンポの中身は、たいへん有益でした。司会者がまず紹介したのは、『神祇肝要抄』(印融著 永正6年)に「曽我物語第七云」として『真名本曽我物語』が引用されているという、落合博志さんの発見です。次いで渡瀬淳子さんは、曾我兄弟助命譚を取り上げ、仮名本曾我、能、幸若などから近世の通俗書までの変遷を辿りました。坂井孝一さんは、史料と軍記物語を比較しながら、伊東一族の造型を追究、北条氏の勢力下での物語の成立と変転を論じました。黒石陽子さんは江戸歌舞伎と関西浄瑠璃の興行面を中心に、曽我物の意義を述べました。思えば中世から近代まで、日本人が共有していた曾我兄弟の物語は、敗戦・占領で殆ど途切れたわけです。未だ未だ解明すべき、論じられるべき課題山積の作品なんだ、と痛感しました。

終日オンラインはさすがに目がつらい。退出したらふらふらでした。