去りゆく者は足早に

陽だまりでのんびり朝刊を広げたら、死亡欄に出口典雄の名前を見つけました。劇団シェイクスピアシアター主宰、誤嚥性肺炎のため16日に死去、80歳とあります。学部1年の時(57年前です)、ほんの短い期間在籍した部活の上級生でした(出逢った頃のことを、本ブログに「役者の老後」と題して書いておきました)。

卒業後、アサヒ芸能に入社したがすぐ辞め、劇団を立ち上げた、という噂は聞いていました。その後、Gパンで演じるシェイクスピアの演出家として有名になったことも知っていましたが、私も自分の生活でめいっぱいで、観に行く機会がありませんでした。新聞には、吉田鋼太郎佐野史郎を育てた、とあります。

中高時代からの親友が演劇好きで、随分影響を受けました。彼女は、中学生の演劇コンクールで、何十年に1人の才能、と評され、自分でも演劇の道に進みたかったようですが、当時は、作家や役者は、堅気の家の女の子がなるものではない、というのがごく普通の考え方だったので、銀行に就職後、夜間の俳優養成所に通い、そのうち縁談がまとまりました。一緒にいろんな舞台を観に行ったものです。新劇も歌舞伎も、新国劇、日本舞踊も。ピーター・ブルックの本を読んで、手紙で感想をやりとりしたりもしました。歌舞伎座がはねて、昭和通りを渡りながら、よぼよぼになっても2人でここを通るかもね、酒はストローでチューと呑んだりして、などと話したのですが、36歳で亡くなりました。

定年後、出口典雄演出の公演の広告を見て、花でも持って観に行こうかな、とふと思ったのですが、そのままになりました。行けばよかった、と後悔しましたが後の祭(勿論あちらは、半年も在籍しなかった1年生を覚えてはいません)。去って行く者の足は速い―そう思いながら、新聞を畳みました。