硬い姿勢と柔らかい姿勢

昭和45(1970)年11月25日、その日は大学院の中世文学研究会で、友人と共に帰途の地下鉄の中で喋っていたところ、突然友人が「三島由紀夫が死んだ」と言うのです。周囲の乗客が広げていた夕刊には、大きな見出しと、鉢巻姿で演説する彼の写真が載っていました。しかし私は大して気にも留めず、家に帰ってから、ことの異常さを知りましたが、あまりにも異常で、生理的な嫌悪感から、詳しく知る気になりませんでした。親の本棚にあった『仮面の告白』も、あまりの生々しさに、途中から読むのが苦痛になったことを覚えています。

改めて彼の年譜を見ると、それでも彼の主な作品は、結構読んだようです。『金閣寺』『豊饒の海』『午後の曳航』ーいずれも、言葉や仕掛けの抜群のきらびやかさは印象に残り、力のある作家だとは思いましたが、心に深く刺さってくる気はしませんでした。

学生時代は演劇好きの親友と共に、よく舞台を観に行っていたのですが、あるとき入場待ちをしている列に、黒塗りの大型乗用車が猛然と突っ込み、三島が1人で降りてきました。爾来、自己顕示欲の強い、あぶない人、という印象を持ちました。たしか劇団「雲」の旗揚げ公演(1963年 「夏の夜の夢」)を観た砂防会館だったと思うのですが、「黒蜥蜴」(1962年 サンケイホール)だったかもしれません。

今年は没後50年で、若者から再評価されているとのこと。特番で語る記念館の館長や担当編集者は、私も会ったことがあり(勿論あちらは覚えてなんかいない)、懐かしく視聴しました。三島が危機感を以て眺めたという70年安保反対のデモ隊の中には、私もいたかもしれません。今でも思い出すのは、市ヶ谷の演説場面で、彼の硬い姿勢を眺める自衛官たちの、柔らかい姿勢の背中を描き出した、当時のコメントです。