コロナの街・part13

暖かいうちに、と用足しに出かけました。西片町の酒屋で御歳暮を発注し、白山通りへ出て、本屋で小さな暦を探しました。犬猫ばっかり。以前は海、雲、薔薇、富士山などの図柄の暦を使っていたのですが、年々、同じようなペットの図柄しか出なくなりました。仕方がないので、「花屋の猫」という題の暦で妥協。人気漫画の最終巻と外伝は売り切れました、という札が立ち、渋沢栄一本があちこちに積んであります。

長居はしませんでしたが、本屋へ入ったら手ぶらで出られないのが我が家の家風。『法華経とは何か』(植木雅俊著)という新書を買って出ました。本屋から帰ったら、熱い飲み物を前に、目次とあとがきを読むのが至福の時です。店で立ち読みした、元気な感染学者の新書には、感染症を避ける方法は単純明快、接触しないこと、つまり人と同じ行動を取らないことだ、と書いてありました。なるほど、尤もだと思ったのですが、買ってきた新書のあとがきには、日蓮の『立正安国論』の一節「汝すべからく一身の安堵を思はば、まづ四表の静謐を祷らむものか」を引いて、「自らが感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を防止することが欠かせない」とありました。

どちらも真実です。マスクをつけるのは自分がウィルスを持ち歩いているかもしれないと思って、空中に撒き散らさないためであり、自分が発症していないから、この事態を軽く見ていいということにはなりません。自衛隊に看護師派遣を要請しながら、観光旅行を推奨するのって、誰のためですか?必死で防護服製造に転換した製鞄会社が、みすみす安値の輸入品に敗れるのを放置したまま、広く薄く休業補助金を出しているだけでは、中小企業の自助努力を潰すも同然ではないですか?

師走の短日は、こんな悲憤慷慨をよそに、梅茶1杯飲む間に暮れてしまいました。