南北朝期の元号

君嶋亜紀さん「南北朝期の勅撰集と元号」(「文学・語学」227号)と「『新古今集』春部の柳歌ー崇徳院「いなむしろ」詠の周辺ー」(「大妻国文」51号)を読みました。前者は、南北両朝が、それぞれ自らの正統性を示すべく元号を制定した時代の勅撰集及び『新葉集』に、その元号がどのように扱われているかを検討したもの。新政と争乱の治世であった建武という元号について、『新千載集』には後醍醐天皇への懐古と鎮魂の意図が見え、敗者の歌を多く載せる『玉葉集』を継ぐ『風雅集』と共に、勅撰集の枠組の変質を感じさせるとしています。元号によって時代を象徴させる感覚に関しては、「治承物語」の書名や、芸能の世界で屋島合戦が「元暦元年」とされることなど、思い当たることが多く、私も今後考えてみたいと思いました。

後者は、『新古今集』71番歌の「いなむしろ」という歌語の考察から、『新古今集』春部の構成を論じ、68~75の柳詠には後鳥羽院の御代への祝意が籠められているとするもの。1つの語義から拡散していくように見える論が、『新古今集』の意図に収斂し、和歌の解釈だけに留まらず、軍記物語研究にも波及する可能性を感じました。

「大妻国文」本号には、小井土守敏さんの「〈資料紹介〉大妻女子大学蔵『平治物語絵巻 信西巻』」や、桜井宏徳さんの「歴史叙述と仮名表記ー『愚管抄』から『栄花物語』を考えるための序章ー」も載っています。後者は、年代的には六国史を継ぐとされている『栄花物語』に、果たして平仮名で歴史を語る意図があったのかという問題意識から出発して、片仮名交じりで書かれた『愚管抄』を通して、日本の歴史叙述の文体を考えようとする意欲作。今まで軍記物語ばかりで手一杯だったけど、私ももっと、いろいろな文学をとりあげたかったなあ、という思いに駆られました。