國學院雑誌1403号

國學院雑誌3月号が来ました。スピアーズ・スコットさんが「和歌の研究と電子資料」というコラムを書いていて、国歌大観のオンライン検索を例に、作品検索、語彙検索、人名検索のほかに人間関係をグラフ化することもできるようになると、もっと便利になるだろうと述べています。軍記研究から見て羨ましいのは、和歌研究では当時の文壇、知識人の人脈を辿っていけることなのですが、それは研究者の水準次第でもあり、ITにやらせるようになったら研究者はどう差別化されるのかなあ、と考えてしまいました。

荒井洋樹さんの「『竹取物語』の和歌と解釈」は、通説のように和歌の技法を認めると解釈しにくい箇所があることに拘っています。なるほど『古今集』や初期の物語の和歌の技法を、全て現代語訳に遷そうとすると困ることがありますが、もともとこの時期の和歌には物名歌のような遊び心があるのかも。どうでしょうか。

鳴海あかりさんの「いわゆる「丑の刻参り」の完成」によれば、丑の刻、嫉妬に狂った女が藁人形に呪いの釘を打つ、という丑の刻参りの定型が決まったのは比較的新しく、18世紀末だとのこと。意外でした。

荒木優也さんの「心に詠ずる花ー西行和歌における歌道と仏道の共振ー」は力作です。『山家集』春部62~76番歌の後に何故「願はくは花の下にて」歌が置かれるのか、という問いを立て、この歌群の「心」と「花」に関する語を考察。西行50代の歌境を推測し、煩悩があるから悟りがある、悩み苦しむことは西行にとって一概に否定すべきことではなく、花への執着と往生祈願とは一連であった、という結論に至ります。もう少し刈り込んで書いてもよかったかと思いましたが、西行の仏心を追究して何がわかるの、と訊いた修了面接の答えに、しっかり取り組んでいるなあと感無量でした。