不登校

生涯で学校に行かなかった時期が2度、あります。1度は大学院修士課程。大学紛争のおかげで授業はおろか、研究室も図書館も封鎖、ちょうど現在のような状態でした。その話は別に書くとして、もう1度は小学校時代。入学年齢の前年の秋、脊椎カリエスで絶対安静になり、1年遅れて入学、祖母に付き添って貰って登校しましたが、再発し、1年次に数日、4年次に数ヶ月、5年の後半から約1年半通っただけでした。

それでも何とかやって来られたのは、親たちが本好きで、家に大量の本があり、しかも当時は子供向けの本が少なかったので早くから大人の本を読み、また多分にラジオ放送から知識を得たからでしょう。牧野植物図鑑を端から端まで読み、植物の分類体系を覚えました。母方の伯母が贈ってくれた子供用の1冊本百科事典は、天文学の知識から短歌まで、あらゆる分野のことが盛り込まれていました。算数は主としてドリルを解きましたが、時々家庭訪問してくれる担任から、九九は教えておくようにと親が言われていました(実際、後年、定時制高校の教諭になって、学力のつまずき初めは、九九を覚え損ねた場合が多い、と知りました)。

習わずに後で困ったことは、楽譜の読み方と包丁の使い方でした。習っておいてよかったのは、漢字の筆順と算盤です。いま思えば父は、当時としてはすぐれた子供向けの科学書や文学書を探して買ってきてくれていたのですが、中には好きになれないものもありました(大島正満の『動物物語』は愛読しましたが、清水崑の『聊斎志異』はなじめませんでした)。いま学校閉鎖が続いて、焦りを感じている方も多いと思いますが、小学校の段階では、基本的な人間性と好奇心だけ養われていれば、長い人生の中で、不登校や学校閉鎖の期間は問題にならない、というのが私のひそかな確信です。