肥大

昨夜、レバノンからの記者会見中継を視ました。機関銃のように喋りまくる英語とフランス語とに、同時通訳の能力がついて行っていないようでしたが、強く印象づけられたのは、その人の顔が変わっていたことでした(以前はギャングのボスかスパイのような眼光でしたが、今はただのオヤジ)。一方的に、自分が受けた仕打ちのひどさを言い募っている、ということだけは分かりました。但し、憐れみや救済を乞うてはいない表情で、むしろ不思議な気がするほどでした。強気なんだなあ、どういう着地点があると思っているんだろう、というのが私の感想です(彼だけでなく、あの会社の役員全体が変だと、かつてこのブログに、「過少申告」と題して書きました)。

日本のメディアでは唯一、経済紙系列のTV局が取材を許されたようですが、記者が「貴方は日本でも今だに人気があり、安全に街を歩けることからもそれが分かる」と質問を切り出したのは、皮肉だったのでしょうか。日本はそういう国(暗殺などめったにない)だし、もはや庶民には彼は過去の人。彼の記憶には、かつて人員整理をした社員のことなど全くないでしょう。45万人から切り離された、と憤慨しているが、彼から切り捨てられた人数はどれだけか。

途方もなく肥大した自己―同じような言動を、同じ日の報道で見せられました。横浜の裁判所で、開廷中に不可解な行動を制止された被告がいました。お詫びする、と言いながら自らの小指を噛み切ろうとした、と報道されています。しかも個人面談では今でも、自分の犯した殺人傷害は正しかったと語っているらしい。

この日は天気予報が外れて、東京は芯から寒い一日でした。心も寒い―限りなく肥大してしまって、もはや修正しようのない自己を抱え、彼らはどこで立ち停まるのでしょうか。