珈琲が呼ぶ

片岡義男『珈琲が呼ぶ』(光文社 2018)を読みました。本屋で探したが入手出来なかったとぼやいたら、アメリカ文学専門の友人が取り寄せて貸してくれたのです。送り状には「片岡は父親が日系2世であり、自身も幼少時にハワイで数年暮らしたことがあるためでしょうが、その英語力を生かしたというか、英語力に裏付けられた、アメリカ文化論になっていると思いました」とありました。

350頁もあるソフトカバーで、全編珈琲が絡んだエッセーです。余白の多い組みなんだろうと予想して、開いたら吃驚。ぎっしり詰まった文字、大胆に挿入された写真やデザイン画。ある意味で、贅沢を極めた本造りと言えましょう。

本書を探したのは、かつて『スローなブギにしてくれ』を読んで、作者に惹かれていたからです。ちょうど私は、『太平記』はハードボイルドタッチの軍記物語だ、という文章を書いたばかりで、専門家の友人が苦笑いしながらも、そう言えば細部の描写が詳しい点は共通している、と賛成してくれました。しかしその後は日々に逐われて、彼の新作を読むことはできずに歳月が過ぎてしまったのでした。

読む内に、独特の語り口が記憶から蘇ってきました。1960~70年代の神田・お茶の水、そして高田馬場や梅ヶ丘・中井など私鉄沿線の街のたたずまい、喫茶店の雰囲気、さらにインスタントコーヒーの普及に同調しながらも、砂糖やカップに凝ってみたりしていた時期のことが、活字の間からありありと起ち上がってきます。

友人の言うように、彼の英語に関する感覚の鋭敏さ、外国映画やジャズに関する知識の該博さには舌を巻きます。中にはだらだら書き流したような文章もありますが、意図的にことの順序を入れ替えて書いたりする作家魂に、一種の郷愁を感じました。編集者たちとの付き合いや漫画に関する蘊蓄も、よき時代の1コマなのでしょうが、もはや私の世界とは遠くて、読後の幸福感のみが残りました。