琉球の王宮

首里城が焼け落ち、沖縄の人たちの衝撃と悲しみが報道されて、胸が痛みます。ちょうどツンドクの山から、原田信男さんの『義経伝説と為朝伝説ー日本史の北と南ー』(岩波新書 2017)を引き抜いて読んでいたところでした。

本書は、中国大陸へ渡ったとされる義経生存伝説と、琉球王朝の祖先となったという為朝伝説の、発生と展開を交互に追いながら、日本が東アジア世界の中で近代国家になっていく道筋を照らし出した、壮大な構想の新書です。米と和歌が、いかにヤマト王権による国家統一のツールとなったか、アイヌ琉球王朝のそれぞれの歴史がいかに変形され、「日本」に統合されていったか等々、テーマの大きさに唸りながら読んでいます。

琉球王朝と日本国との関わりは、ごく大雑把にしか把握していませんでしたが、中世以来の歴史を知って、その王宮を再度喪った人々の心中を思いやると、何とも言いようのない、重いものが肩にのしかかってくる気になります。

復元された首里城を観光したことはありますが、実物ではなく復元だから、という気持ちがありました。しかし沖縄の人たちにとっては、単にふるさとの象徴というだけでなく、そのかみは父祖の王国の宮殿であり、400年も続いた王宮がさきの大戦で米国の砲撃によって焼け落ちていくさまを目撃せねばならなかったことを思うと、ただの観光遺跡ではない。己れの無知と無関心を恥ずかしく思いました。

復元には資金だけでなく、技術や材料が確保できるかどうかの困難が大きいと報道されています。かつて法隆寺の再建、平等院の修復にも同様の困難があり、国内だけでなくアジア各地の共感と支援によって完遂しました。これを機会に、北と南と、日本の国境及び国際関係を、文化史的に考える動向が広がればいいなと思います。