地震見舞

17日の朝も18日の夜も、ゆっくり長く揺れる地震を感じ、遠いけど大きいな、と思いました。17日は茨城で、18日は新潟・山形がたいへんだったようです。1日置いて友人にお見舞いメールを出しました。山形の菊地仁さん(中古和歌文学)と、新潟の鈴木孝庸さん(語り物文芸)から、返信が来ました。

「沿岸部の庄内地方はかなり被害があったようですが、我が家のある内陸部は揺れが大きかったものの、これといった被害はあまりありませんでした。昨夜は電話が通じにくかったため、心配した親戚からも今朝、電話がありました。ご心配いただき、ありがとうございました。 菊地仁」

「わが家の二階におり、たまたま天津の教え子と、WeChatで会話中でした。大揺れに揺れて、ついに我が家も終わりかと思いましたが、本棚に置いてあった南沙織のカセットテープ1本と竹西寛子の本2冊が落ちただけでした。お見舞いありがとうございます。無事でしたので、ご安心いただきたく存じます。 鈴木孝庸

学部2年の夏休み、級友たちと奥の細道一周旅行に出ました。この指止まれ、で始めたら、国文科28名の中11名という一行になり、当時は高校までは女子の一人旅は許されなかったので、初めて他人と一緒の団体旅行、互いにカルチャーショックのてんやわんやでした。予定の半分くらいを終えて日本海側へ出ようとしたら、豪雨のため列車が不通となり、やむなく一旦引き返し、後日反対回りで新潟へ行きました。前年(1964)の地震で落ちた昭和大橋が、未だ河の中に漬かったままなのを見て、衝撃を受けたことを覚えています。コンビナートの火災があったり、液状化現象や地震保険が初めて認識されたりして、歴史に残る大地震でした。