琵琶法師らしく

新潟の鈴木孝庸さんから、抜刷①「三十日一部平家について」(新大「人文科学研究」152輯)、②「園魔王のふたつの偈―仏教的言説と平家語り―」(「比較宗教思想研究』23輯)と③「邦楽ジャーナル」3月号のコピー、チラシが送られてきました。

②は巻6の「慈心坊」を語りの曲節から分析して、仏教的言説、漢文体表現を引用する際、物語としてはどういう扱い方をしているのかという問題を考えようとした論文。清盛が南都炎上の仏罰と思われる「あつち死」をした後、平家物語は彼の人物評価をするかのような逸話群を並べますが、中でも「慈心坊」は、清盛が実は慈恵大僧正の生まれ変わりであり、「悪業衆生同利益」をもたらしたという偈を閻魔王が告げるという、考えようによっては物語の根幹的立場を示す逸話です。分析の結果は、1句(平家語りの単位となる1章段)中に2つある偈がどちらも折声で語られ、釈文がないという点も独特であり、本説話の物語内での位置づけについての不思議感は残ったが、本文と語りのあり方の検討へ1歩踏み入れることはできた、と言っています。

①は自身が前田流平曲の伝承者として、30日間1人で平家200句を語り通す試みを完遂したことの記録。③には「福井県の邦楽」という特集記事に、鈴木さんが昨年9月25日から師の橋本敏江さんの命日10月24日まで、越前市の御誕生寺で敢行した一部平家演唱の取材が載っています。掲載写真を見た私の第一印象は、琵琶法師らしくなったなあ、というもの。愛妻を亡くして出家し、いい年齢になった鈴木さんの風貌は、まさしく琵琶が身体になじみ、肩書なしで、それらしく見えるようになりました。また、譜による平家の語り手が全国に15名ほどもいることを、驚きを以て知りました。

論文の文章がときどき独善的になるのは、後期高齢者が警戒すべきところ、他山の石。