大名小学校

博多の中心部、大名町にかつて、大名小学校という小学校がありました。公立ですから、ワルガキ(博多弁では「わるそう」と言います)も、商家の子も職人の子もいました。およそ100年前-この小学校に1人の男の子が転校してきました。みんなの目を驚かせたのは、女中(小間使というのでしょうか)が1人、ずっと従いていたこと。工作の時間には、道具箱を目八分に捧げて工作室へ持って来たそうです。

弁当は、当時見るのも珍しかった、食パンのサンドイッチ。しかも耳は食べ残す。児童たちは取り囲んで見物したらしい。けっきょく、1ヶ月でまたどこかへ転校して行ったそうです。現在の財務金融担当大臣のお父さんです。

亡父はその時の児童の1人でした。ふつうならいじめるところだけど、あんまり違い過ぎて、みんな度肝抜かれちゃって、と言っていました。ちなみに父は、大工の棟梁の息子でした。当然、道具箱は自分で担いで登校したのです。

日本が富裕になったのは戦後、高度成長期以降のことです。父は何人もの住み込み弟子たちと同じに水汲みも風呂焚きもし、決して貧しくはなかったけど、東京の大学に入って下宿先で朝から味噌汁が出た時は感激した、と言っていました。実家では朝食のおかずは漬物だけで、味噌汁は晩のご馳走だったそうです。

自分が年金を貰っているかどうかも知らずに年金財源を工面する政治家は、我々と同じ市民だとは思わない方がいいのかも知れません。それほど・・・ずれてるよ太郎君。