郷土資料の文学

野本瑠美さんの「崇徳院と和歌」(「国語と国文学」2月号)、「手銭家所蔵資料の研究と古典講座」(『地域とつながる人文学の挑戦』島根大学法文学部研究センター)を読みました。特に後者は、私自身の経験と重なる点やそれ以後の学問の変化と引き比べながら考えるところが多く、有意義でした。

手銭(てぜん)家は出雲市大社町の豪商で、地区の要職も務め、藩や出雲大社とも関わりを持ち、美術品・古典籍・生活用具など多くの文化財を所有しており、現在は記念館が設けられ、その記念館と島根大学とが協力して「出雲文化活用プロジェクト」を起ち上げたのだそうです。野本さんは、手銭家所蔵古典籍の調査整理や、それらを活用して2016~17年に計10回開かれた連続講座「古典への招待」に関わることによって得た知見を分かりやすく紹介しています。

地方の有力者・豪商の家族たちは当時、和歌・俳諧儒学などの教養を身につけ、それらの学習会・実作を伴う交歓会を開くことが生活の一環でした。彼等の短冊や研究ノートが、郷土資料として未整理のまま残されていることはよくあります。私も若い頃、鳥取や長野でそれらに遭遇し、充分な関わり方ができなかったことを、少々の後悔と共に思い出します。

江戸から明治にかけて、商家の妻女たちが、結構そういう活動の中心にいたことは重要なことかもしれません。また寛政元年(1789)の手銭家婚礼の棚飾りに、絵入り九巻抄出本『栄花物語』が使われたなどということも、全集本や文庫本でしか古典を思い浮かべられない現代人には、新鮮な印象を与えるのではないでしょうか。

崇徳院と和歌」は、なぜ崇徳院長歌の形式にこだわりを持ったかを考察した論。藤原隆房の『艶詞』に注釈をつけた時のことを思い出しながら、「形式」が権威や関係を左右することを改めて考えました。