雲は美しいか

渡部泰明さんの『雲は美しいかー和歌と追想の力学』(平凡社)というブックレットを読みました。全100頁、活字も大きくゆったり組まれて速読できそうに見えますが、中味はなかなかどうして一筋縄ではいかない。

本書の内容は、雲が和歌文学の題材としてどう詠まれてきたかをたどり、中世和歌を主として日本文学の中で、雲(雨や雪、霧も含め)を詠むことがどういう精神的営為だったかを論じようとするものですが、単なる古典解説ではなく、時には著者のかなり奔放な分析を披瀝する箇所もあり、門外漢の私はときどき立ち止まって、こういう解釈はどこまで妥当性があるのか考え込む時間が必要でした。というのは、彼の(鋭く斬新な)解釈には、眼前の和歌1首のみならず、歌論や歌学の世界で蓄積されてきた論評の背景があって、それらを経由する過程は到底100頁の中では述べられないからです。

しかし読みながら、時折引っかかる解釈を反復して、私自身の和歌解釈は自分がこれまで読んできた文学作品と共に、幼年時代から現在に至るまでの自然体験に大きく影響されていることを改めて発見、すると自然環境から隔てられて育つ現代都会人には、古典文学がどれだけ身近かに感じられるか、すでに追いつけないほどの懸隔が生じてしまっているかもしれない、という不安に囚われました。古典を読むのは自由でもあるが、むつかしい、と新たな嘆息が生まれました。

全体に「朝雲暮雨」故事の影響を広く認定しており、『続浦島子伝記』や正徹の評価は面白い。あとがきを読むと、これは彼が館長を務める国文学研究資料館による、古典籍を画像として保存公開するプロジェクトの成果発信のための叢書だそうで、「雲」というテーマは彼なりのメタファでもあるらしい。煙に巻かれないように用心しつつ楽しむ1冊。