言葉、言葉、言葉

AIの能力がいろいろ取り沙汰されています。中には誇大な期待や恐怖もあるのでは、と思うこともあります。過去の膨大なデータから未来を予測し、自動的に対応する(行動を示唆、もしくは実行する)ということですが、ではそのデータとは何か。後藤正文さんというロッカー(私はこの人の演奏を知らないのですが、彼が朝日新聞の文化欄に月1度書く「朝からロック」というコラムの切れ味がいい。彼のコラムのファンです。ロックというのは音楽でもあり、生き方でもある、と言われているようなので、そういうファンもあり、でしょう)が、9月22日付朝刊に、「生成AIに問われた語彙力」というタイトルで書いた文章が面白かった。

数理の最先端技術のような生成AIですが、結局は言葉、言葉、言葉だった、という内容です。後藤さんは、オンラインで行われた生成AIについて学ぶ合宿の、ミュージックビデオ制作グループに参加、「時間とは何か」というテーマで画像を作る共同作業をしたらしい。各自が「時間」という語から連想する言葉を入力すると、複数の画面が現れ、情報が追加される度に変化するのだが、AIの予想外の反応が面白かったそうです。

苦心したのは、「時間」という言葉から遠いイメージをどうやって引き出すかだったという。入力する語によって、AIがどれだけ新しいイメージを打ち出せるか、結局は入力者の語彙力が問われた、とあって、私は、ああやっぱり、と思いました。異なる人間たちが集まって、何らかの共通概念に触れようとすれば、それは言葉に頼るしかない。人と人とが繋がれるのは言葉によってなのです。「バベルの塔」がそれを示しています。

しかしAIの情報収集能力には、私は大いに疑問を持っています。本ブログの公告には、何故かオトコの好きそうなエロや軍国主義の宣伝がひっつく。いったい何を拾ってるのか。