制度としての

最近ずっともやもやしている疑問があります。制度としての結婚って、何だろう。何が本質的で、何が附属部分もしくは寄生部分なんだろう?愛としての結婚についてではありません。社会制度としての、現代の、日本における、です。

夫婦別姓制度を求めてなかなか実現しない。家族としての一体感は、一つの姓で括られるからなのか、という議論がある一方で、同性婚が認められた証として、同じ戸籍に、同じ姓に入ることを求める要望がある。夫とか妻とかいう関係性を住民票に記載できることが嬉しい、という同性婚の人たちもいれば、性別による役割を拒否するカップルもある。つまり異性婚と同じ形態に近づくことが、同性婚にとって理想なのだろうか?

結婚制度によって守られる権利とは、いったい何の為のもので、何故存在するのだろうか。最も分かりやすい場合とは、資産相続、税制優遇、福祉や終末医療関係でしょうか。しかし結婚でなくとも共に暮らし、共に財産を築き、「病める時も」死に臨む時も傍にいる関係というのはあり得るでしょう。結婚が、結婚でなくてはならない条件とはいったい何だろう。

突き詰めていくと扶養ではないか、と思ったりするのです。結婚とは、次世代を(生み)育て、成人するまでは扶養する、だから相続や税制で優遇される、かつてはその為の育児や家事を担う主婦(妻)も扶養されたので、優遇される、そういう制度だった。だとしたら、扶養を前提としない共同生活を、制度としての結婚と同様にみなしていいのか。

もやもやの原因を言葉にすると、以上のようになるでしょうか。人間は生まれつきの性からも自由になれるとなれば、従来の社会制度そのものが一律には当てはまらなくなってくるのではないか。同性婚の人たちは、その壁をも打ち破る決心は、お持ちですか。