綱敷天神像

藤立紘輝さんの「太宰府天満宮所蔵「綱敷天神像」の伝来と佐賀藩士藤井家の由緒」(「飛梅」211号)を読みました。藤立さんは皇學館大学から九州大学大学院に進み、日本中世史を専攻しています。このブログでも論文を紹介したことがあります。以前から太宰府天満宮で研修を積んでいたので、天満宮の文化研究所とも御縁があって、季刊の広報誌に執筆させて貰ったようです。

綱敷天神とは、菅原道真大宰帥に左遷されて九州へ上陸した際、漁師が敷物代わりに船の櫨綱をとぐろに巻いて座らせた、という伝承を絵にしたモチーフです。座した道真の、憤りに満ちた表情が衝撃的です。太宰府天満宮には16世紀作と見られる「綱敷天神像」の掛幅があって、表具の裏の墨書から、肥前国与賀龍造寺家に伝来したことが判明しますが、その間の経緯を佐賀藩士に関する史料によって裏付け、読み解いています。

永正元(1504)年、綱敷天神像は天満宮社家の小鳥居信元から龍造寺胤家に贈られました。後に側近の藤井姓を名乗ったのだそうですが、この辺の事情が書いてないので、詳しくない読者はちょっと途惑います。元禄7(1694)年、藤井家は佐賀藩から石高を召し上げられて牢人し、綱敷天神像は牛島社に預けられましたが、文久元(1861)年になって、享保17(1732)年に帰参を許されていた藤井家に戻されました。そして平成23年、天満宮に奉納され、この春宝物殿で公開されたそうです。

天満宮はいま本殿の改修のため仮殿に遷座中ですが、仮殿は屋根に鬱蒼たる木立を載せた珍しい建築で、昨春、博多を訪れたのに慌ただしい日程のため参詣しなかったことを、残念に思いました。本誌には天満宮の様々な行事や文化財についての記事が満載、色とりどりの紫陽花を浮かべた花手水の表紙が美しい。