日曜画家の遺作

論集『明日へ翔ぶ』最終巻の校了が近づいてきたので、口絵に載せて貰う亡父の絵を選びました。第7巻と最終巻の2冊分、4枚です。1930年代以来、およそ70年間の作品が箱一杯あり、3時間近くかかりました。

油絵、水彩、スケッチ、クレパス、色鉛筆、鉛筆やコンテで描いたスケッチなど、大半が仕事の合間に描いたものなので、紙やキャンバスや板など、材質も大きさもいろいろ。戦時中や戦争直後のものは紙も悪くて、小さい。戦地の武漢で描いたものも多く、それについての挿話はかつて本ブログにも書きました。昭和17年に撤退して、揚子江を下る途次を絵巻物のようにずっと描き続けた一連のスケッチには、万感の懐いが籠もっているようです。戦後、地方の出張先でスケッチしたらしいものもあり、それらの風景には人の気配がなく、「国破れて山河あり」という詩句が思い浮かびます。昭和20年代の首相官邸や永田町のスケッチもあって、恐らく大臣待ちの車の中で描いたのでしょう。

若い頃の絵は線に力があって、戦前の奈良のスケッチや新婚時代の静物画には気圧されるほどのエネルギーを感じるものもありますが、晩年は次第に細かな描写が省略され、構図に空白が活かされるようになって、画風の変化が分かります。戦時中や戦争直後は絵具を倹約したのか、水彩も淡色ですが、それが却って面白みになっていることも多い。子供の頃、あちこちの引き出しに、固まってしまった絵具や黴の生えたクレパス(風邪を引いた、と言っていました)を見つけたものです。戦況が悪くなって物資不足になる頃、買い溜めておいたらしい。晩年は、昔の鉛筆画に水彩で彩色して楽しんだようです。

そろそろ私の終活に併せて、これらも処分しなければいけないのですが、悩んでいます。個人的愛着だけでなく資料的価値もあるのではと。いい方法があったら御教示を。