伏見の錦織勤さんから、夫婦で鳥取へ行ってきた、と写メールが来ました。
【ガッカリしたのは、たった6年前なのに、町の地理をまったく忘れてしまっていたことです。今どの辺にいるのか、そこからどう行けば目的の場所に行けるか、すぐにはピンと来ないようになっていました(2人とも)。2日ほど車であちこちしたら、だいぶ思い出しましたが、人間の記憶力というのは頼りないものだ、と思いました。
鳥取の町は、かなり様変わりしていました。若狭街道に唯一残っていた書店がなくなって、市役所が移転し、跡地が病院になっていました。変わっていなかったのは久松山の桜。堀の外から眺めただけでしたが、昔と変わらぬ見事な満開の桜でした】。
大雪のニュースなどで鳥取駅前の映像が出ると、見違えるほど小綺麗になっています(でも、朝早く地下街を通ると鼬が走っているのは変わりません、とかつての教え子から聞かされました)。私が赴任した時は、未だ城址には崩れた石がごろごろしていて、歩くだけですでに登山気分でした。踊り子草が大輪の花をつけ、これほんとに野生?と思ったくらいです。その後、観光できる程度に整備されたようです。
このお濠には鯉がいて、日曜の朝、袋一杯のパンの耳を持ってきて鯉にやっている女性がいました。近所の喫茶店主、サンドイッチの残りだそうです。私にも分けてくれたので、暫く並んで投げました。
久松山は263m、室町後期に城ができ、天正9(1581)年、秀吉の兵糧攻めに遭って、無惨な落城を遂げました。江戸時代は池田氏の居城で、取り壊されたのは明治の陸軍によってだったとのこと。市内に住んでいた頃、毎朝5時過ぎに2度、枕元がやかましくなる時間があって、日課に久松山を登り降りする人たちがいるのだと知りました。