川越便り・昭和記念公園篇

川越の友人から、新しい杖を衝いて散歩に行ってきた、とメールが来ました。

昭和記念公園の池

【ここは私の生家に近く、子供時代は米軍の飛行場でした。中学校の隣には機動隊の基地があって、砂川闘争の時は毎日機動隊が出動する様子を窓から見ていました。高校も飛行コースの真下にあり、離着陸時は轟音で授業を中断することがしばしばでした。

今では返還されて、平和のシンボルのようになっているのが不思議な感覚です。真平らの滑走路跡に土が盛られて小山になり、植えられた樹木も森のようになって、昔の滑走路をイメージできる人ももうあまりいないかもしれません。国文学研究資料館も、この基地の跡地に建っています。】

イロハモミジ

【公園になって新たに作られた緩やかな傾斜の山坂を、ゆっくり杖を突きつつ歩きました。木々の紅葉はそろそろ終わりかけていました。】

公孫樹並木

【正面入り口の公孫樹並木が妙な格好なのでよくよく見たら、上を平らに切り揃え、左右の外側も垂直な壁のように剪定されています。公孫樹のトンネルにしようとしたのでしょうか。でも公孫樹は自然の樹形が美しい樹だし、だだっ広い公園なのだから、のびのび伸ばしてやったら美しい景観になったのではないかと、残念な気持ちになりました。

外国人の姿が多く、韓国人や中国人の若い子供連れの夫婦なども多く見られました。こうして世の中は、どんどん変わってゆくのだろうと思いながら歩きました。】

ほんとぶざまな剪定ですね。でもこれは、銀杏のせいじゃないかな。公孫樹は雌雄異株、雄木は円錐形、雌木は枝を傘のように広げます。銀杏が散らかるのが厭だったか、それとも収穫しやすいようにしたのか。東大正門の公孫樹並木も春先に棒杭のように剪定してしまいますが、秋にはちゃんと錐のような樹形で黄葉します。