耳印

先週、本郷通りを歩いていた時、並木の公孫樹の根元につっかえて、立ち往生している視覚障害の人がいました。白杖をしきりに幹にぶつけながら、事態が呑み込めずにいるようです。そんなことは滅多にないので、声を掛けようかと足を早めたところで、後ろから来た人が先に声を掛け、連れ立って歩き始めたのでほっとしました。

昨夜、NHKのTVニュースを視ていたら、コロナの街には耳印が無くなって不自由している、と話す視覚障害者が映りました。普段は、街路を歩きながら聞こえるさまざまの音を頼りに、自分の位置を知って動いていた、コロナでそれが無くなったり、変わったりしてしまって、ときには危険も感じる、というのです。彼らの間ではそういう音を「耳印」と呼ぶのだそうで、例えば飲食店の排気筒の音、コンビニの自動ドアが開閉する音なども今まで頼りにしてきたとのこと。しかし休業する店舗が増え、またドアを開け放しにする店も多くなり、いま自分がどこにいるのか分からなくなる、という。

はっとしました。そうだったのかー視覚障害者が白杖に触れるものや、街に流れる音響を頼りに歩いているだろうことは分かっていましたが、そんな細かい音までが道しるべになっていたとは知りませんでした。私たちも、コロナで廃業する店が増えたり、営業時間が変わったりで、街のたたずまいが変わって行っていることを日々感じてはいますが、未だ他人事でした。どんなに不安だろう・・・白杖に「2,3分手を貸してください」というシールを貼る運動が始まったそうですが、私たちは通常、歩きながら他人の手許まで覗き込んだりはしない。

これまでも、障害者や高齢者を追い抜く短い時間、そっと様子を観察したりはしましたが、これからはもっと気をつけて見よう、そう思いました。