水俣

環境大臣が再度水俣を訪れて、5月1日の失礼をお詫びしたニュース。そもそも5月1日は水俣病犠牲者慰霊の日、環境省の前身環境庁は、水俣病をきっかけに起こった公害対策が発足の原点。被害者団体との懇談会は大臣出張の中心に据えて企画しなければいけないのに、単なる付随行事、ガス抜き会と考えていたことがありありです。役所側の態度の不誠実さが画面から流れ出て、そういう問題じゃない!と一々突っ込みたくなりました。

お供の官僚の、制限時間3分、それを超えたら対応させて貰うと言ってあった、という弁解も聞き苦しい(田舎の年寄りの、気持ちを振り絞っての話に、そもそも3分とはなんだ、結婚式のスピーチじゃあるまいし)。彼は昨日は、マイクの音声が「切れた」と言い続け、TVカメラには明らかにマイクの電源を切る指が映っている!初めは私も、お供が莫迦なんだ、と思って聞いていましたが、お詫びに出てきた大臣が、マイクの音を「絞った」と言うのに呆れてしまいました。団体側が、もう一度懇談の場を設けて欲しいと要望したのに対し、大臣は「努力します」、「最大限努力します」、「設け・・・ます」、「大臣だけではなく副大臣政務官も」とずるずる後退する返事をして、こちらは神経を逆撫でされました。

大人なら言葉を大事にしろよ!誤魔化そう、この場をしのごう、という態度が見え見えじゃないか!納税者としては、2度目の出張旅費は本人のボーナスから引いて欲しい、大臣もお供も。

初めて水俣の話を聞いたのは学部の1年目、保健体育の授業でした。猫がよろよろ歩くフィルムを見せられました。文字通り身体を張って闘った川本輝夫の名前は、今でもはっきり記憶に残っています。ミナマタは、日本近代史の一時代を象徴する語です。