体験的電子事情・老友篇

小島孝之さんの「田中親美透写古筆切「名葉集」の研究(3)」)「成城国文学」40号)を読みました。彼は古筆切の蒐集、読解を続けていて、多分野の古筆断簡の、実物だけでなく古い図録類に載った写真図版なども丹念に眼を通し、考証をしています。私には到底できない(しようと思えない)ことなので、感服して見ているのですが、今回は副題に「前稿の訂正及び追稿」とある通り、前回の連載に掲出した切の読みや解釈について、寄せられた意見や助言を紹介して補訂し、データ保存の失敗談を書いています。

私には門外のジャンルの切ばかりなので、口を出す自信はありませんが、例えば「松木切」の翻刻を見ながら(前回もそう思ったが)、和歌の詞としては異例な気がする箇所は読みに問題はないのかどうか・・・「秋をきかする」、こういう使役の助動詞の使い方は和歌の詞として他にも見られるのでしょうか。

近藤好和さんの助言によって解釈可能になった「後鳥羽院宸記切」の一節ですが、右大将はこの時、無露の丸尾を結び垂らしていたのではないでしょうか。「毎事相応、尤所悦思也」なのに、右大将のやり方は内々聞いていた所と違う、だから「何是何非、可尋事也」なのでは。

追記として、うっかりクラウド利用勧奨に乗せられ、慣れない操作で下書きを消失させてしまったのが失敗の原因、準備していた原稿が間に合わなかった、と書いています。全く、最近のアプリは作業中にあれこれ言ってくるのでうるさい。勝手に作業画面に飛び込んで来て、居座ったりする。とりあえず言うことを聞いてしまうと後で対処法が分からず、途方に暮れることがあって困るのは、私も似た経験があり、同感。でも老耄のせいにするなよ(同い年なので)!