中世日光山

永井晋さんの『日本史のなかの中世日光山ー忘れられた全盛時代』(文学通信)を読みました。宇都宮勤務の頃、市内の二荒山神社と日光の関係がよく呑み込めず、また芭蕉が、奥の細道への旅立ちとして日光に参詣した折の昂ぶりが、いま一つ腑に落ちないでいたのですが、本書を読むうちに朧気ながら分かる気がしました。

日光は、坂東から平泉への入り口でもあり、京都の国家護持体制、古代からの山岳信仰鎌倉幕府の政策などが複雑に絡み合う歴史を抱えているのです。京都の僧侶、公家、地元の衆徒、武家が入れ替わりながら関わり、中央政府神祇官比叡山、熊野、鎌倉幕府など、支配勢力もその時の力関係によって拡大・縮小したことが、本書で分かります。

永井さんは金沢文庫学芸員を永く勤めたので、見てきた史料の範囲が広い。日光関係の史料は、必ずしも各年代を均一にカバーできるわけではないようで、本書の記述も推定、憶測が少なくなく、私にはその正否を全て判断することはできませんが、頼朝政権前後の関東の動き、京都と鎌倉の関係など、胸に落ちることがいろいろあります。

本書全214頁の章立ては、「中世日光山、忘れられた全盛時代」「信仰の山日光と宇都宮氏の誕生ー古代~平安時代」「信仰と勢力の分離ー鎌倉時代前期」「中世日光山の全盛時代ー鎌倉時代中期」「終末期の鎌倉幕府を支えた人々ー鎌倉末期~室町時代」「中世日光山の栄枯盛衰」という構成で、各時代の概説と各論とを行ったり来たりするので、必ずしも読みやすいとは言えませんが、活字も大きく、片手で持てる大きさなので、源氏将軍時代の関東を知る読書にはいいかもしれません。

時代が変わる時には、じつに多くの要素の組み合わせが、めいめい勝手な方向に作用しているのだということを、読みながら痛感しました。