遠くなる

年々少なくなる終戦記念番組。今年は民放では何も無かったね、と言ったらエノキさんに、You Tubeでジャニーズが主演したのが1本あった、と教えられました。でも、顔も雰囲気も全く似合わないんですよ、と言う。エノキさんは勿論戦後生まれですが、最近の若い男の子は、坊主刈りにしても軍服を着せても、どうも昭和の青年には見えない、と言うのです。同感でした。美形すぎるというか、ふにゃふにゃしているというか。

昨夜、Nスペ「映像の世紀」で、マッカーサーの日本駐留時代のドキュメントを視ました。断片的に知っていたことが繋がって、納得もしましたが、全体に米国側視点だなあという割り切れなさを感じました。上陸後都心へ走る車列を日本兵が護衛する映像に、日本軍の統制のよさを言うコメントが被さりましたが、私は兵士たちの胸の内を思って息が詰まりました。GHQの周囲には見物人が押しかけた、とマッカーサーの人気をほのめかすかのような語りがつきましたが、民衆は怖い物見たさのような感覚でいたのでは。

かつての日比谷第一生命ビルは、私もGHQ本部として記憶しています。親から教えられたのでしょうか。父は、戦時中は日銀本館で仕事をしたと言っていました。私たちは、東京の街が戦後から高度成長期へ変貌していく時期を、リアルタイムで経験した世代です。

父は出征後、戦後の復興に粉骨砕身した世代ですが、Yuri Yamamotoの父親(私には従兄)は、爆弾を抱えて戦車の下に飛び込む訓練を受けている最中に終戦を迎えたのだそうです。もう特攻機もなかったのでしょう。そんな所へやってきたマッカーサー。日本人たちは言えないこと、言葉も見つからないことを圧し殺して、曖昧な笑顔で進駐軍を迎えていたのです。あの感覚はもはや遠くなり、想像もできなくなってしまうのか。風景や器物は再現できても、一時代の雰囲気は、制作者たちが思いもつかないものになっていく。