アナウンサーと戦争

昭和20~30年代、ラジオが生活に与えた影響は、現在からは想像できないほど大きなものでした。今年の数少ない終戦記念番組の中に、NHKーTVのドラマ「アナウンサーたちの戦争」がありました。太平洋戦争開戦から終戦に至るまでのアナウンサー群像を描いたものですが、登場した主な数人は戦後も活躍し、私も実際に視聴した覚えがあります。

中でも主人公の和田シンケンー信賢(のぶかた)と訓む名だったことは初めて知りましたーは、看板アナでした。「話の泉」(1946-1964放送)というクイズ兼トーク番組の司会が有名で、我が家でも毎週聞いていました。堀内敬三山本嘉次郎、大田黒元雄といった錚々たる文化人の語る蘊蓄を捌く、渋い声の大人のアナウンサー、との記憶がありますが、そのほかにもニュースや時事番組を担当していたと思います。じつは未だ30代だったのですね。調べてみると、かの双葉山が70勝を果たせず敗れた時の中継放送で有名になり、生放送が主だった当時、実況中継を盛り上げる(煽る)能力はカリスマ級だったそうで、それゆえに悩み、玉音放送の司会を務めた後は一旦フリーになり、ヘルシンキ五輪(1952/8)の中継放送の帰途、40歳で亡くなったという。登場する同僚アナの今福祝はニュースを読むTV画面を視ましたし、志村正順はスポーツ中継で有名だったのを覚えています。みんな戦時中の挙動を背負って、その後を生きてきたのです。

政治や社会問題の動きに報道が与える力は大きい。さきの大戦におけるマスメディアの自己点検は、比較的近年になって始まったばかりです。到底充分とは言えません。現代でもニュースを聞いていて、政府や警察当局の発表の言葉そのまま、吟味もせずに流しているな、と感じることがよくあります。映像が加わればなおさら影響力は増す。当事者の自覚、視聴者の監視、双方を組み合わせて見守る必要があるでしょう。