事のあとさき

新聞の新刊書公告で、「新しい戦前」というタイトルを見てぎょっとしました。すぐ傍の記事に「殺傷能力」という語もあったからです。冗談じゃない。タレントが言い出した語がトレンドになったようですが、軽々しく流行らせるような惹句ではありません。

与党が防衛装備移転三原則の運用指針見直し―つまり殺傷能力のある武器をも「同志国」に提供、輸出できるようにするかどうかの検討を始めた、と報じられ、国会では、そうした方が我が国の安全を守れると与党議員が主張する映像も流れました。どうして彼らは、戦争ごっこをやりたがるんだろう!

いいですか。現代では、日本のような位置にある国では、戦闘が始まったらもう終わりなんですよ。「同志国」などという曖昧な概念は、時によって、いや状況によって簡単に変わる。相手が誰であろうと、戦争放棄をした日本は、殺傷能力のある武器は国外へは出さない、戦闘には関わらない、それこそが最も有効な自己証明であり、国際的信用の源です。海外の現地で様々に活動してきた人たちが、口を揃えて言っていることです。

冷静に考えてみれば、敵基地攻撃能力とか武器生産能力とか言う前に、物作り日本の底力を上げることが焦眉の急でしょう。ヘリコプターが落ちる、ロケット打ち上げは失敗続き、月面探査ロボットも高度計測間違い・・・そんな国の技術力は、全世界に公開され、見られています。日常に有用な科学技術が百発百中うまく行く国こそ怖い。粘り強い交渉能力を持つ国が一目置かれ、大国の言いなりにならない政府を立てている国こそが敬意を払われる、そのための施策や議論が、いま国を挙げて行われていると言えるのか。

事のあとさき―何が根本で何が枝葉か、何が急ぎで何が次ぎか、それを見分けるのが政治の要諦なのでは。