祝辞

東大の学部入学式で奈良出身の女性映画監督が述べた祝辞に複数の国際政治学者が反論し、話題になっているので、公式サイトで読んでみました。もしもその主旨を次のようにまとめるならば、彼女の言は正しいし、有益なはなむけでもあります―悪の塊を1個作って、そこに非難を集中して済ませるな。

あまりに理不尽な他国への侵略、自国民たちをも欺く国家的規模の情報操作、信じがたいやり口に、私もときどき報道の過熱を疑う気になることもあります。一方で、東京五輪記録映画制作に関連する誤報問題への煮え切らない対応に不信感を抱き、足して2で割れば公正ってもんじゃない、と思ったこともありました。

しかし彼女は、加害者と被害者を対等に並べて中立を装う立場から、視野の広さ、真実を見抜く能力を獲得せよと言ったわけではないと思います。誤解を招く原因は、金峯山寺に関する挿話ではないでしょうか。節分の福の神も鬼も呼び込む話と、住職が堂内で交戦国の名前を唱えない話とは別のことです。住職自身に語って貰わないとその真意は分かりませんが、金峯山寺でかつて何があったのか。節分の豆撒きではない。

彼女は太平記を読んでいないのでしょうか。私の親たちの世代は、吉野の蔵王堂の悲劇を始め瞋恚に充ちた太平記の世界を学校でも習いました。その執念を手本に生きよと教え込まれたのです。七生報国―戦争は何世代にも亘る怨恨、瞋恚をその地に植え付けます。口にしたくもない、2度とあってはならないことが、彼地ではいま起こっている。

どんな言説も、一部だけ切り取れば真実でもあり欺瞞でもある。渾身の言葉には常に危険が伴います。でも私としては、彼女には、自分の栄光の場で大事な人が侮辱された時、彼はどうすればよかったのか、話して貰いたかったなあ。