昨日の新聞の1面トップは、中国が人口減少に転じたというニュースでした。少子化=国力低下のように書かれていて(しかも少し安堵感があるように見受けたのは、私の誤読でしょうか)、違和感を覚えました。半世紀も前ですが、印度を訪れた時、その人口密度と貧困との二重苦に衝撃を受けました。中国もまた、人口調整に苦心し、厳しい統制を行ってきたことは周知のことです。
他人事ではありません。子供の頃、ラジオから耳にたこができるくらい頻繁に流れてくる、不思議な言葉がありましたーサンジセイゲン。戦争が終わって一気に子供が産まれ、いわゆる団塊の世代が出現、食糧が十分でないところへ(未だ戦災孤児もたくさんいた)これでは養っていけない、と産児制限の専門家が海外から招かれ、婦人雑誌や主婦向け番組では、無計画な出産は無知蒙昧の結果のように宣伝されました。
ついこの間まで、産めよ増やせよのスローガンで、12人以上の子供がいる家は表札に名誉の札が掛け添えられていた(正確な言葉は覚えていませんが、国への奉仕を讃える趣旨だったと思います)のに。
それゆえ私は、少子化対策が声高に叫ばれるとしらけるのです。「異次元の」少子化対策って、何?(だいたい、異次元などという冠詞がついて安心できる政策なんて、ない。バズーカ砲と言われた金融政策の末路はどうか)。担当大臣の言い換えによれば、「漸進的な」の反対語、「大胆な」「前例のない」といった意味のようですが、そう言えばいいではないか。
数さえ多ければいいというものではない。充分に教育を受け、意欲も能力もある人材の比率を保つことが重要でしょう。子供を持つかどうかは、あくまで個人の専権事項です。