川越便り・名残の薔薇篇

喪中欠礼の葉書が毎日、数枚ずつ届きます。若い人からは、今年はコロナ騒ぎで帰郷できないと書き添えてあることも多く、さまざまな悲しみや忍耐を抱え込んだ歳末です。その中の1枚に、大学院時代の上級生の訃報がありました。入学後2ヶ月で学園紛争が勃発、論理も礼儀も不毛の大学院生活(「造反有理」が当時の闘争スローガンだった)を送った私には、数少ない「上級生」でした。京都から来た人らしくもの柔らかな話しぶりで、その後山口へ赴任、長門本平家物語の伝本調査の際に訪ねたことがあります。

川越の友人と、彼の訃報や、恩師の手沢本の話をしました。半世紀なんて、過ぎてみればあっという間です。しかし堆積した時間の向こうには、もう手の届かない所ができて、それは、前へ前へと流されていくしかない人間のさだめのようなもの。

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夜来香という名の薔薇

川越からのメールには「藤色のバラ「夜来香(イエライシャン)」の写真を添付します。香りの強い花で、夜の暗闇の中でも馥郁と香りを発する、ちょっと艶な美しい花です」とありました。近ければ貰いに行くところだが川越までは行かれない、クロネコの冷蔵便なら送れるよ、と言ってみましたが断られました。我が家の四季咲き薔薇は新芽が出たものの、蕾は出来ず、今年はリルケの命日に花を観るのが難しいようです。

赤門前の扇屋へ行って、ささやかな御供物を注文し、送り状を書きながら、ふと唐突に、大学院時代、あの上級生と味噌汁の話をしたことを思い出しました。僕はよくTVを見るので呆れられてる、と言っていたことも。もう詳しい内容は忘れています。平和な家庭生活なんだなあ、と思ったことだけが蘇りました。