大統領選

隣家の取り壊し工事が、日曜日だけはないので、のんびり起きてメールチェックをしていたら、米国大統領選勝敗決定というツイッター見出しが目に飛び込んできました。このところメディアは勝敗速報一色、しかし両者の選挙人獲得数はじっと動かない、という状態で、未だ勝敗確定ではなく、彼国のメディアが一斉にそう報じている、というだけらしい(弊国の首相はすでにお祝いツイートを出したそうですが、早すぎない?)。

ハリス候補もバイデン候補も嬉しさに溢れ、殊に本人は、77歳(私と同年です!)とは思えぬ力強い発声でした。違和感があったのは、2人ともしきりに家族の名前を挙げたこと。国柄の違いでしょうか、就任演説とは違ってやや私的な場面なのでしょうか。

分断や敵視をやめて一つの国に、と演説で強調していたのは、今後の困難を想像させます。彼国のジャーナリストが、「まずやるべきことは、大統領のことをみんなが忘れるようにすること、ツイッターを始終発信したりしないことだ」と言っていたのに共感しました。政治は、思い出さずに暮らせるのが一番、鼓腹撃壌とまではいかないにしても。

最近の政治を見て、民主主義は性善説に基づいて成り立っている、とつくづく知らされました。正確な言葉によって説明できるものでなければならない、そのように設計されている、とも。米国は、民主主義に関してはもはや先進国ではない、と思った人は多いでしょう。日本のメディアが、大統領制やスタッフ総入れ替え制を羨ましそうに報道した時期もありましたが、彼我では権力暴走の制御装置が異なっている。弊国では元来、政治家と官僚とが別の立場、異なる技量を以て、民の生活安定を追求する仕組みになっています。その均衡が大事。首相夫人が政治に容喙すること、人事を脅迫材料にすることだけは、決して採り入れてはならないと思います。