真名本

日本語学の田中草大さんが花鳥社の公式サイトに、「真名本の範囲」と題して、真名本の定義について書いています。変体漢文と真名本とを分けて考え、真名本はテクストとしての非独立性―和文なり漢文なりで書かれたものがあって、それを異なる表記法で記したものだ、という立場から論じています。近年、軍記物語研究では佐倉由泰さんが、リテラシーという概念を用いてこの問題を論じており、軍記物語講座第1巻には『将門記』を取り上げています。https://kachosha.com/gunki2020022201/

日本語学の方から論じるとこうなるのか、とやや意外に思った軍記物語研究者もいるかもしれません。我々の間では真名本『曽我物語』と四部合戦状本『平家物語』の表記法は共通性が高いとみなされ、あるいは同じ地域、同じ文化圏で成立したのではないかとみる説もあるからです。文学の研究者はもっと語学と、そして日本語学の研究者は自分たちの領域に固執せずに、相互の交流が必要だと思います。当初は方法や概念の違いから、噛み合わない、通じない、役に立たない、といういらいらが双方に溜まってしまうかもしれませんが、究極的には同じ素材を扱って、遠く遙かに、同じ方向へ歩んでいく分野なのではないでしょうか。

平家物語』諸本の中では最も叙情的な覚一本も真名本(熱田本と呼ばれる)があり、室町物語的な文体を持つ長門本にも、わざわざ真名書きした伝本が複数残っています。史書は漢字で書かれるべきだ、という意識があったのでしょうか。なにゆえわざわざ真名書きするのでしょう。

中世の真名本や変体漢文を扱う研究者の数が少なくて心細いと思うのは、私の不勉強ゆえならいいのですが。この分野は面白いよ、と専門家からももっと宣伝して下さい。