平家歌人

中村文さんが花鳥社公式サイトに載せた「歌人としての平家一門」を読みました。

https://kachosha.com/gunki2020032401/

中村さんはまず、覚一本『平家物語』では、平忠度が単なる武人ではなく文武両様を自らのアイデンティティとする人物として造型されていること(巻7「忠度都落」・巻9「忠度最期」)を述べ、その父忠盛では階層上昇の手段に過ぎなかった和歌が、経盛・忠度の世代になると、同時代の歌人との交流や文芸的作歌活動、歌学への関心などへも展開していることを指摘します。その孫の世代に当たる資盛もまた積極的に歌合に参加し、当時の歌人たちと交際していることも述べています。

かつて谷山茂氏は、平清盛の政治権力や経済力によって裏付けられた、平家歌壇という名称で一時代を代表する集団として彼らを把握しましたが、中村さんは、清盛の政治権力と彼らの作歌活動とを結びつける必然性には否定的です。

そして、覚一本『平家物語』が取り込んだ忠度の歌や、延慶本『平家物語』が採用した行盛の歌(『新勅撰集』に読み人知らずで採られている)には、彼らのその後の運命を象徴する機能が含まれており、単なる名歌、代表作としての掲載ではないことを指摘します。説述性よりも映像と情調を喚起する力を重視するのが中世和歌の特徴で、『平家物語』作者は、そのことをよく理解していた、と結論づけました。

和歌と軍記物語の関係は、単なる典拠論だけでなく、もっと幅広い視野で論じられていい問題だと思います。文学の成立契機に迫っていく道でもあるでしょう。そもそも国文学を、韻文と散文とで別物のように扱うのがおかしい、そう考える時機が来ています。