神皇正統記

花鳥社の公式サイトに、軍記物語講座スタートの企画会議の一部がアップされました。小秋元段北村昌幸・和田琢磨という、中堅・気鋭の太平記研究者と意見交換しながら企画が作られていく過程の、ごく一部が紹介されています。https://kachosha.com/gunki2019013001/

その中で、『神皇正統記』と太平記の思想を比較してみたらどうなのか、という提案に、今は必要な環境が整っていない、という意味のことを私が言っていますが、紙面の都合で後半を割愛したので、最小限度補足したいと思います。詳細は『神皇正統記 軄原抄』(朝倉書店 2014)解説と研究史、及び科研費平成25年度報告書『「文化現象としての源平盛衰記」研究』第4集(非売品 2014年)を参照して下さい。

神皇正統記』の成立論は未だ夜明け前です。それは諸本論が進んでいないからでもあります。重要伝本の奥書をどう解釈するか、そもそも書誌学的に主要伝本の年代や伝来をどう評価するか、等々の根本的な問題が、戦前から殆ど再吟味されていない状態にある。しかし軍記物語を初めとして、中世の歴史叙述のありようについての調査・研究は戦後大きく変わり、近年、本文流動についての見方もしだいに具体的になってきました。その成果を応用して、『神皇正統記』の成立と展開も、究明が進められるべき時期が来ているのではないでしょうか。

神皇正統記』の思想を論じるなら、北畠親房の立ち位置を、他の著作―『職原抄』や『古今序注』、『元元集』とも併せて考えねばならないでしょう。当今の用語でいえば王権との関係です。王権と武士、権力・武力と知識人の関係は、今まさしく中世文学研究の熱い話題。注釈文芸という方法の考察もまた、今日的なテーマです。やりませんか、30年の時間があれば。