寿永2年(1183)閏10月1日、屋島にいた平家が京ヘ進撃すると聞いた義仲は、海野幸親と矢田義清を派遣し、両軍が備中水島で激突します。
【玉島港】
現在、この付近は凹凸の多い地形ですが、当時は大小の島が浮かぶ海面でした(近世以降、干拓が行われてきました)。良寛が修行した円通寺を中心に広がる円通寺公園からは、水島古戦場を一望できます。写真中央の源平大橋の右側(円通寺公園を含む)が、平家が布陣した柏島、橋を渡った左側が、源氏が布陣した乙島とされています。
【源平合戦水島古戦場碑】
海戦を得意とする平家軍に対し、山国育ちの源氏軍は圧倒的に不利な戦いです。源氏軍は作戦を立てて柏島へ攻め寄せますが、平家の方が一枚上手でした。柏島側の源平大橋のたもとには、源平合戦水島古戦場碑があります。
【源平水島合戦城趾碑(常照院)】
激戦の最中、突如太陽が欠け始め、夜のように暗くなります。日蝕が起きたのです。平家軍は予め知っていましたが、驚いた源氏軍は総崩れとなります。二人の大将軍も討たれ、平家の勝利となります。乙島側の常照院境内には、源平水島合戦城趾碑があります。
【東向山本覚寺】
円通寺へ向かう坂道の途中にある本覚寺は、承和年中、海上から十一面観音が光を放ち、山中の柏の枯木に隠れたのを見た慈覚大師が、その枯木で観音像を彫ったのが始まりとされますが、源平の兵乱によって廃寺になったと伝わります。