叱るということ

40~50代で世田谷に住んでいた頃、どうやら近所の商店街では、あの人の職業は何だ、という眼で見られていたらしい。NHKーTVに出演した後、教師だったんですね、とあちこちで声を掛けられました。行きつけの肉屋からは、この人は叱り方のプロだとは思ってましたけど、と言われました。ショーケースに土足でよじ登る子供を、私が叱ったのだそうです。自分では何を言ったか覚えていないところを見ると、瞬発で済んだらしい。よその子供を叱る時は、一発で完了する(いけないことなんだよ、ということを一瞬で分からせる)ことが大事、言い合いになったら失敗。

逆に、子供を叱られ上手に育てておくことも必要でしょう。社会に出た時に、叱責や指導をこじらせない若い人は可愛がられ、結局、知恵が身につくからです。つまらぬ口答えをしたり、注意された行為を繰り返して見せたりすれば、徒らに不快さが増えるだけ。

30代後半、パワハラ満載の職場にいました。ある時、仕事上のミスをして理事長に呼ばれ、勿論叱責覚悟で部屋へ入ったら、彼はチョッキのボタンを外してはだけ、だらしない姿勢でソファに掛けていて、延々と終わらない非難を言い続けました。詫びるきっかけも掴めないし、処罰も言い渡されず、人格批判や侮辱の言を、まるでぐずる子供のような鼻声で聞かされ続けること1時間半、卓上の茶碗の文様を今でも思い出すほどです。これは叱責ではない、彼のコンプレックスの放出だ(それもこれまでの人生全ての)、と感じるだけでした。この「叱責」は何度も繰り返され、私は公募で転任しました。

叱ることは必要です。依存などという心理学用語を持ち出して話を複雑にしなくても、何故、いま、ここで叱るのかが咄嗟に把握できていること、それが目上の資格であり、それが出来ていないなら、叱る立場にいてはいけない。簡単なことです。

方丈記と五大災厄

説話文学会9月例会をオンラインで視聴しました。今回はハイブリッド、オンラインでは60名強、会場には30名以上の参加があったようで、申込数は130だったとのこと。荒木浩さんの司会、タイトルは「五大災厄のシンデミック―『方丈記』の時代」でした。木下華子「『方丈記』「都遷り」の生成と遷都をめぐる表現史」、児島啓祐「慈円の災異論と台密修法―『愚管抄』の災厄記事を中心に」、ブラダン・ゴウランガ・チャラン「海外の受容から窺う『方丈記』の五大災厄―英語圏における翻訳とアダプテーションを中心に」という3本の報告が並び、力の籠もったシンポジウムでした。

ゴウランガさんは、夏目漱石が大学2年で抄訳した英訳の影響が、西欧では後々まで強く、閑居生活を中心に読まれてきたが、1933年に英国のモダニスト詩人バジル・バンティングが、当時の政治経済への批判として翻案を試みたことを紹介、世界文学としての方丈記を知ることができましたが、近代日本文学史と並行して考えたい気もしました。

圧巻は木下さんと児島さんの報告です。前者は10日の研究発表(本ブログで紹介)のほつれ部分を整理、すっきりして自信に満ちた見解になっていました。児島さんは、慈円台密の修法によって後鳥羽院を災異から護り得たことを愚管抄で強調していること、平家物語は当時の陰陽道内の対立について独自に安倍泰親を称揚していること、慈円は死者供養を密教と浄土思想とを融和させて考えていたことを詳しく述べました。2人とも各々、長明と慈円を総合的に、しっかり把握していることが鮮やかでした。

思うに神官の家出身と天台座主になる運命の育ちとでは、自然観、歴史観も異なるのは当然といえば当然。長明(蓮胤)が、意図的に平家没落や戦乱を書くまいとしたことはあり得ます。なお、原平家物語が治承物語として誕生したかどうかは不明です。

コロナの街・part 39

3年ぶりに眼科検診に出かけました。後期高齢者は年1回、無料で区の眼科検診が受けられるのですが、大学病院は駄目。私はずっと、お茶の水にある大学病院の眼科で半年ごとに検診を受けてきたので、地元の眼科医を知りません。古い検査機械などで眼を傷つけられたら取り返しがつかないので、高額の初診料を取られることを覚悟で(半年過ぎると初診扱いになる)出かけました。ワクチンが未だ効いているうち、医療費負担が1割のうち、受診するなら今でしょ!と決心をしたのです。

混んでいます。以前より車椅子の老人が増えていることに驚きました。従来の経験から、検査後は瞳孔が開いて今日1日仕事にならない、と思って出かけたのですが、この3年のうちに検査方法が進歩したのか、点眼薬は差さず、2時間ほどで終わりました。初診用の問診票が詳しくて、昔の病歴や病院名が正確には思い出せません。自分の罹った病名くらい、きちんと覚えていなくては、と反省しました。

視力は落ちたようです(数値は教えて貰えなかった)。白内障黄斑変性症も、さほど進行していない、特に問題はないが、3ヶ月経ったらまた検査するのがよい、と言われました。医師の見ているPC画面には、秋空の雲のような画像がいろいろ動いていました。コロナを警戒してか、スタッフは診察券確認でも決して手を触れません。

帰りに、今までこのバス停には停まらなかったスクールバスにうっかり乗ってしまい、東大構内で降ろされました。構内立ち入り禁止かなと思いましたが、通り抜けるのはOKらしく、久しぶりにキャンパスを歩きました。58年前に部活で出入りした建物や、田中後次作の噴水を見ながら、法師蝉の啼く緑陰を抜けて正門から本郷通りへ出ました。気温は高いけど風は初秋です。久々に人間世界に戻って来たような気がしました。

生活実感

総務省統計局の出す消費者物価指数は2.6%上昇(2020年を基準とする2022年7月)だという。生活実感に合わないよねえ、とエノキさんと話しました。スーパーで、去年までとほぼ同じ量をカートに入れてレジに行き、支払いが3割増し、えっと驚くのが現実、ということで意見が一致しました。しかも上がっているのはエネルギーと生鮮食品、つまり生活必需部分の出費がかさんでいるわけです。

収入は増えないのに物価が上がっている、苦しいことは政府も承知で、住民税非課税所帯に給付金を出すという。根本を解決せずにバラマキ政策を繰り返すのは発展途上国のつね、日本もいつの間にか後進国になった、と私が嘆いたら、エノキさんは、楽でもないのにつましく税金を納めて、税を納めていない所帯に配分されるのは納得できない、と憤慨している。共感しました。生活保護所帯なら未だ分かるけど、非課税の理由はきちんと把握されているのだろうか。酒や煙草に明け暮れて定職に就かない人たちもいるでしょ、と言うので、それは酒税や煙草税を納めているんだよ、という話で落着。

年金はじりじり下がり、来月からは医療費負担も上がる(何故か「一定の収入」には引っかかるが、軽減措置には枠外のことが多い)。買い物ついでにちょっと1品、珍しいものや季節ごとの嗜好品を買ってみるのが、老後のささやかな楽しみでもありましたが、やめました。つまり日々の買い物は決まりきった、必需品ばかり。代わりに老人同士、小さな贈り物を交換するのが、会食できないコロナ下の代替習慣になってきました。よその土地から、他人が選んだ1品が届くと、楽しみが倍増するからです。

昨日は信濃の葡萄、今日は名古屋からにゅうめんが届いて、おかげさまで仏壇も賑わっています。我が家からは鳥取名産を、お世話になっている方々へお送りしました。

中世の語彙

安部清哉編『中世の語彙―武士と和漢混淆の時代―』(シリーズ<日本の語彙>3 朝倉書店 2020)を取り寄せて読みました。山本真吾さんの論文「『平家物語』の語彙」を読むためで、目次を見て大半は自分に関係ないと思ったのですが、読み始めたら、蒙を啓かれるだけでなく興味深く読める論文ばかりで、結局13篇全部を読んでしまいました。ほどよい長さで分かりやすく書かれていて、専門課程に進む前に読み、自分の卒論を書き終わってからもう一度読むと、さらに関心が広がるのではないかと思います。

1武士階層と和漢混淆の発展 2漢字・漢語の広がりと規範の変化 3口語世界の拡大 4外国人がとらえた日本語の近代語化 という4部構成になっており、1には平家物語太平記吾妻鏡、古今著聞集が、2には徒然草、古文書、倭玉篇、3には抄物、狂言集、御伽草子、4では天草版平家物語、日葡辞書、中国資料が取り上げられています。

1-1「『平家物語』の語彙」は、延慶本と長門本の差異や、平家物語(覚一本)では漢語が質量ともに高い割合を占め、和語・漢文訓読語・記録語が対立混淆しているところに特徴があるとしています。妥当な結論でしょうが、延慶本・長門本の使用テキストが明記されておらず、殊に長門本では語彙レベルで論じるなら伝本の違いは無視できません。1-3田中草大「『吾妻鏡』の語彙」は、変体漢文という枠組み内での規範性という性格を指摘し、2-6辛島美絵「古文書の語彙」は、古文書に見える漢語から中世社会の一面が窺えることを照射しました。読み本系平家を扱う私には、3の室町口語の考察が有益でしたし、4からは16世紀日本のダイナミズムが想像できて愉快でした。

各篇とも研究史を概説し、実例を採って数値による論証を展開、適度に参考文献も挙げてあり、編集の眼がよく行き届いていて、第一、重すぎない。一般読者にもお勧め。

戸籍制度を見直す

夫婦別姓同性結婚の攻防戦を見ていると、その是非よりも、日本の戸籍制度が現代社会に相応しいものかどうか、根本的に問うてみる必要があるのでは、と感じます。

結婚って何だろう、結果的に叶わなかったり望まなかったりは構わないが、元来は次世代を育むことを予期して男女が所帯を共にすることから始まったのでは、と考えるのですが、当初からそれを意識していないとすれば、戸籍を合併する必要はあるのだろうか。戸籍制度がなければ、同性だろうと異性だろうと、ずっと一緒に暮らそう、と決めれば望みは叶うし、どちらかが姓を捨てる必要もない。

日本にいると戸籍制度のない社会なんて想像もできませんが、世界ではこの制度がない国の方が多いらしい。日本では納税や福祉や教育・保健など、行政との関わりは原則として戸籍(または住民登録)を基にアクセスされますが、果たしてほかに方法はないのだろうか?同性婚の人たちが入籍に拘る理由は、実質的には何だろう?相続とか病院治療の際の「近親者」の定義が理由なら、結婚という概念に押し込むよりも簡単な解決方法があるのではないでしょうか。ずっとそういう疑問を抱えてきました。

「娘」の立場からすると、今の戸籍制度では、母方の親族とは書類上縁が切れていることに疑問があります。母方の女性親族との方が心理的距離は近い例も多いのでは。

戸主の概念が変われば、同性婚夫婦別姓の問題も難しくなくなるのではないかしら。現在の戸籍制度の上で正式の認知を得ようとするから、困難が大きくなるのだと考えたりするのですが、とうてい受け入れられない思考でしょうかね。

行政への登録を原則的に個人単位とし、扶養や相続の対象を個人が選べるようなシステムは、非常識ですか。制度構築にかなり手間がかかるには違いないでしょうが。

大規模修繕

南町田に勤務していた頃、横浜の青葉台のマンションに住んでいました。当時のマンションは7年ごとに鉄部塗装、13年目に大規模修繕を行うのが通例で、私が管理組合理事だった(その頃の話は「人事力」と題して本ブログに書きました)翌年に、鉄部塗装工事が予定されていました。初めての工事なので、住民440世帯向けにレクチャーが必要だということになり、施工者の鹿島建設の部長が住んでいた(マンション時代初期には、建設会社の誰かが数年間住んでいることが多かった)ので、講演会を設定しました。

しかし、部長の話は要領を得ないもの(と私は感じた)でした。国の発注工事は厳正さを要求され、欄干塗装の下準備では顔が映るまで磨けと言われるが検査前夜に雨が降って錆が出てしまい、泣きたくなることもあるとか、下請けが不正をしないように朝夕2回ペンキ缶の数を数えるとか・・・愚痴にしか聞こえませんでした。

それから36年。都心のマンションで初めての大規模修繕の時期が来て、修繕委員会は立候補者で構成されました。偶々私はその年の管理組合理事に当っており、委員会に陪席する機会がありました。莫大な修繕積立金の使途を決めるわけですが、委員の男性たちがやたら高揚していて、不安を感じました。施工はもとの建設会社に依頼することが総会で決まっていたので、担当者は積立金の総額を知っている。提案される計画は、プレミアムプランと銘打って60年経てば安くつくとか、外装のタイルは特注なので市販品は使えないとか、こちらの見栄をくすぐりながら高額の見積もりを出していることが見え見え。委員たちは何度も突っ返しましたが、常に積立金総額すれすれの見積もりが出てくる。

私はやっと、あの話が理解できました。けっきょく工事会社に任せるしかないよ、という話だったのです。素人の管理組合が書類の細部をチェックしても、判るわけがない。