叱るということ

40~50代で世田谷に住んでいた頃、どうやら近所の商店街では、あの人の職業は何だ、という眼で見られていたらしい。NHKーTVに出演した後、教師だったんですね、とあちこちで声を掛けられました。行きつけの肉屋からは、この人は叱り方のプロだとは思ってましたけど、と言われました。ショーケースに土足でよじ登る子供を、私が叱ったのだそうです。自分では何を言ったか覚えていないところを見ると、瞬発で済んだらしい。よその子供を叱る時は、一発で完了する(いけないことなんだよ、ということを一瞬で分からせる)ことが大事、言い合いになったら失敗。

逆に、子供を叱られ上手に育てておくことも必要でしょう。社会に出た時に、叱責や指導をこじらせない若い人は可愛がられ、結局、知恵が身につくからです。つまらぬ口答えをしたり、注意された行為を繰り返して見せたりすれば、徒らに不快さが増えるだけ。

30代後半、パワハラ満載の職場にいました。ある時、仕事上のミスをして理事長に呼ばれ、勿論叱責覚悟で部屋へ入ったら、彼はチョッキのボタンを外してはだけ、だらしない姿勢でソファに掛けていて、延々と終わらない非難を言い続けました。詫びるきっかけも掴めないし、処罰も言い渡されず、人格批判や侮辱の言を、まるでぐずる子供のような鼻声で聞かされ続けること1時間半、卓上の茶碗の文様を今でも思い出すほどです。これは叱責ではない、彼のコンプレックスの放出だ(それもこれまでの人生全ての)、と感じるだけでした。この「叱責」は何度も繰り返され、私は公募で転任しました。

叱ることは必要です。依存などという心理学用語を持ち出して話を複雑にしなくても、何故、いま、ここで叱るのかが咄嗟に把握できていること、それが目上の資格であり、それが出来ていないなら、叱る立場にいてはいけない。簡単なことです。